初めまして!しゃおり(@shaoillust)です。
元地方公務員、
フリーのイラストレーター・漫画家になり5年目。
2人姉妹の母です。
「しゃおりのイラストエッセイ」では
自由を求めてフリーランスになったものの
自分で自分をがんじがらめにしていた私が
少しずついろんな思いを手放して、成長していく様子(笑)や
フリーランスとして働きながら子育てしてきて思ったことなどを
振り返って描いていきたいと思います。
今日は、開業1年目で、がんじがらめの一つの正体に気づいたお話です。
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いつもなんだか生きづらかった自分が
フリーになる頃、一番お金も時間もかけて学んだのは
心のこと。
そこで繰り返される
「頑張らなくてもいい!」とか
「ダメな私でもいい!」とか
「嫌なものは嫌と言おう!」とかいう言葉に
いまいちピンときてなかったんです。
私、完璧主義でもないし
嫌なことは(度が過ぎれば)嫌って言えるし
態度にも出せる。
ただ、、、、
好きな人からの、期待や依頼には
全力で応えたい。
その気持ちが、昔からめちゃめちゃ強い。
応えられなくても、嫌われないことは、わかってる。
でも、がっかりさせたくない。
私が相手のことをわかって、応えることで
相手が「救われる」のではないか、と感じる場合、特に。
(それが勘違いであっても)
一番身近では、親の期待。
幼稚園〜学生時代は、大好きな先生の期待。
大人になってからは、仕事で信頼できる人からの期待。
結婚した当初は、夫からの、美味しい夕食への期待。(もうやめた。笑)
小学校高学年の時
私のことを、すっごい好きな先生がいました。
先生は、子どもっぽくて
ほかの先生とは違う本音をズバズバいう人で
怒る時も本気。
「周りに迎合なんてするな!!」が口癖。
周りからの好き嫌いは、かなり分かれる感じ。(そりゃあな。笑)
でも、私は、先生の
一般常識にとらわれず思ったことを言う
まっすぐなところが好きでした。
先生は
私がいじめについての作文を書けば感動し、学級通信に掲載。
似合わない役なのに、学芸会の主役に抜擢。
ひとりぼっちになっている子がいれば
「しゃおりに任せておけば安心」
中学校入学時の、入学挨拶?に推薦。
私は、大好きな先生から期待されて
褒められて嬉しい!もっと頑張ろう!
と思っていたけど
これって、側から見ればえこひいきだよね。
だから、周りの友人や保護者はいい顔をしてなかった。かも。
当時の私を見て、親は
「いつも、先生のお母さんみたいで、苦しそう」
と思っていたそうです。
(私はその先生のこと今でも大好きです!)
↑18歳の頃、その先生との関わりを思い出して描いたイラスト
逆に、好きでもない人からの期待は
「このク○が!!!!」
って思うくらい笑
嫌いでした。
困った時だけ
「あの問題を、しゃおりちゃんに解決して欲しい。あなたならできる。期待しています」
と言う先生には
「期待されるなんて、迷惑です。そういうの嫌いです。」
って返したことがあります。
好きな人とのギャップ。笑
「期待している」
という言葉は
相手を都合のいいように動かす
呪いの言葉だと思っていました。
でも、
「期待に応えなければ」という呪いを
自分にかけていたのは、自分なんですよね。
私は、好きな人(もしくは、大多数の人)からの期待に、盲目になる。
自分の本当の気持ちがわからなくなる。
でも、それがずっと続くと、苦しくなる。
盲目になっているし、相手は好きな人だから
「楽しい」と錯覚するけれど
心と体はだんだん疲れていく。
その空気は、周りにもなんとなく伝わる。
相手と、自分の「やりたい」が一致して
無理せずできるならいいけどさ。
好きな人の期待に応えて
どんどん喜んでもらえるのは
確かに、気持ちがいいかもしれない。
でも、その「楽しい」は本物じゃないよ。
自分の軸からずれてるよ。
そして、あなたのことを大好きな人も
あなたが無理して応えることなんて
絶対に、望んでないよ。
たとえ、どんなに好きな人であっても
誰かのためじゃなくて、自分のために頑張れ。
って、何度でも自分に言ってあげようと思います。
(4年前を振り返ろうと思ったのに、今も結構やってるやつでした笑)
そして、このエッセイも
一緒にお仕事できたら嬉しいな…
と思っていた皆さんからのお誘いですごく嬉しいけれど
頑張りすぎることなく笑
楽しく書いていこうと思います。
よろしくお願いします♪
3歳の時から、テンションはずっとこれ。
期待に応えるんじゃなくて
描くのが楽しくて、たくさん見られるのが嬉しい。笑